2018.07.11 Wed
#Osaka
【インタビュー】
彼女の名は、祷キララ(いのり きらら)。職業、女優の18歳。
2000年、大阪生まれの堀江育ち。その出自は、まるでストリート雑誌のキャッチコピーのようだ。映画デビューは小学4年生。以来、数々の映画・ミュージックビデオに出演するも、生まれ育った関西を拠点に“普通の女子中高生”としての生活を大切に生きてきた。大学進学を機に上京したことで、女優として、ひとりの人間として、今まさに新境地にある祷キララのこれまでとこれからについて聞いたロングインタビュー。
撮影:名越啓介 取材・文:藤原志保
衣装協力:イチミ http://itimiosaka.com
「生まれも育ちも、ずっと大阪、堀江です」
ー18歳にして、女優としてのキャリアはすでに9年。小さい頃は、どんな子だった?
3歳の頃の夢は「きびだんごになること」だったらしいけど、まったく記憶にありません(笑)。初めて映画に出演したのは9歳。だからといって特別なことは何もなくて、毎日公園で遊んでる普通の小学生でした。中学生になってからは吹奏楽部でフルートを吹きはじめたり、高校では唐突に女子バレー部に入部したり、新しいことにいろいろ挑戦しては本気で頑張ってみるんですけど、「コレしかない!」と思えるほど熱中できるものにはなかなか出会えなくて、高校1年生の春から夏は、ほんまにめっちゃ苦しかったですね。
ー2009年『堀川中立売』に祈キララ役でデビュー。翌年、神聖かまってちゃんのMVに出演。2013年には映画『Dressing Up』で主演! 経歴だけ見てると早い段階で女優として生きていくことを決めているように思えるけど、そういうわけじゃないんやね。
柴田剛監督の『堀川中立売』に出演したきっかけは7歳のとき。『青春ポンチ』っていう柴田監督作品の上映が梅田であって、両親に連れて行ってもらったんです。言葉ではうまく伝えられないんですけど、そのとき観た映画がとにかくおもしろくて、わくわくして、大好きになって。上映後に監督に会って「いいな〜。キララも映画、出たいなぁ〜」って言ったんですよ(笑)。もちろん将来のことなんて考えていないし、女優っていう意識もなかったと思うんですけど、監督は「じゃあ、次の作品でキララも映画に出してあげるよ!」って言ってくれて、その2年後に本当に約束を守ってくれたんです。メインの役どころではなかったけど印象的なキャラクターでした。その後、神聖かまってちゃんのMVに誘ってくださった方がいたり、そしてまたそれが『Dressing Up』の主演につながっていったり。今になって振り返れば、楽しいからつづけていたんだろうって思えるけど、そのときはまだ、自分がこれほど「(演じることが)好きだ」って気持ちには気づいていなかったので、小・中学生の間は学校優先。小さいときは撮影現場でお菓子がもらえることがうれしくて、大好きだったグミをスタッフさんがたくさん用意して盛り上げてくれたこととかよく覚えてます。
雑誌「カジカジH(7/12発売)」でのスタイリング撮影に合わせて、本インタビューが行われました
「苦しかった高1の夏。何かを変えたくてミスiDにエントリー」
ー高校生になってからの心境の変化は?
入学してすぐの頃は無気力でしたね。何か大きなトラブルがあったとか、そういうことではないんですけど、中学でめっちゃ勉強して、憧れの高校に入って、高校生活楽しむぞー! って盛り上がってたのに、すぐに「大学受験や!」「勉強や!」って、先生に鼓舞され。新しい友だちをいっぱい作って、明るく、楽しく!って、イメージしていたけど、思ってたんとなんか違うし(笑)。自分でも気持ち的にムリしてたんだと思うんですけど、とにかくいろんなことがちょっとずつうまくいってない感じでした。ちょうどそんな頃、『Dressing Up』の安川監督と二人でインタビューを受けることがあって、そのときのインタビュアーさんに「キララちゃん、ミスiDとか興味ないの?」って聞かれたんです。ミスiDっていうのは、“時代にふさわしい女の子を新しい価値観で発掘する講談社主催のオーディションプロジェクト”なんですけど、私はもちろん知らなくて「なんですか、それ?」って。だけどそのときは学校も乗り気じゃなかったし、精神的にとことん落ちていたので「もしかしたら、何かが変わるかもしれない」そんな思いだけで、ミスiD2016にエントリーしました。
ーそれ、覚えてる! なんていうか、ちょっと意外だった。
そうですね(笑)、あのときの精神状態じゃなかったら、きっと受けてなかったと思います。とりあえず書類選考が通って、二次審査のために東京へ行く段階では「私なんか、ただのうまくいってへん女子高生やのに、時間とお金のムダなんちゃう?」って(笑)、今は笑えるけど、そのときは気持ちが後ろ向きになってるから、家族や友だち、信頼できる大人の人とか、とにかくいろんな人に相談して、「出てみよう!」って決意するまでにすごく時間がかかりました。結果として、ファイナリストに選ばれて、二人の審査員の個人賞をいただくことができました。のちに、『脱脱脱脱17』という映画のお話をいただく松本花奈監督との出会いはミスiDがきっかけになっていると思うし、その作品で共演したのが今の事務所の先輩だったというつながりでスカウトしてもらいました。事務所に入ったからといって心のモヤモヤがすぐに晴れたわけではなかったけど、役者としていろんなオーディションを受けるようになり、女優や俳優を目指す自分と同じ世代の人たちの演技を目の当たりにする経験のなかで、ちょっとずつ心が動きはじめた気がします。
カジカジH vol.59より(撮影 / 名越啓介)
「私はコレが好きや!って、本気で思った高3の春」
ー大阪と東京を行き来しながらの高校生活。卒業後に東京で暮らすことを決めた理由は?
私はひとりっ子やし、両親は大阪での進学を望んでいました。自分でもまだ将来のビジョンが明確に見えていなかったので、学校の休みを使って映画などの作品づくりに参加しながらも、大学受験することを決めていました。ちょうど一年くらい前、高校3年生の春ごろに受けたグループオーディションで、演者としての価値観が大きく変わるような衝撃を受けて、「私はコレ(演じること)が好きや! めっちゃ好きやー!」って気づいたんです。好きなことが見つからない自分に長い間悩んでいたので、このときは本当にうれしくて、オーディションが終わったあとも興奮がおさまらず、そのときの気持ちをすぐにマネージャーさんにメールで伝えたのを覚えています。
「コレや!」って思えるものがやっと見つかったのに学業を優先しなければならない意味を見出すまで、また少し悩んだりもしたけど、演じることを仕事に生きていこうと決めたからこそできるだけたくさんの人に出会って、自分自身の人間の幅と世界観を広げていく時間と勉強がまだまだ必要だと思いました。目にしたこと、感じたこと、生きていくなかで経験したことのすべてが活かされるから、大学受験だってやっぱりやってよかったと思うし、ようやくはじまった東京での学業と女優業の両立生活にも、今はわくわくしかありません。
ー待望の東京生活、楽しんでますか?
もちろん! 正直、まだ大阪のほうが落ち着きますけど(笑)。 東京にいるときは私も標準語で話すけど、大阪弁のない生活に慣れるには、まだまだ時間がかかりそう。上京してから、今回がはじめての帰省なんですけど、新幹線で「新大阪〜♪」のアナウンスを聞いた瞬間からめっちゃホッとしてますし。今夜は久しぶりに実家でお好み焼きを食べられるのが、何よりうれしいです。
ー今後は?
18歳になったばかりだし、先のことはまだわかりません。だけど、おばあちゃんになったときに「私の人生、めちゃくちゃやったけどおもろかったわぁ」って笑って幕を引くのが目標なので、そのための一日一日をとにかく楽しみたいと思います。高1の夜に、公園でバレーボールをしながらお父さんがかけてくれた「決めるのはキララやで」っていう言葉がいつも心に響いているからこれまでブレずにやってこれたし、これからもやっていける気がしています。
PROFILE
祷キララ(いのりきらら)
大阪府出身、2000年生まれ。映画『堀川中立売』でデビュー。2013年安川有果監督の『Dressing Up』で新人賞や女優賞を受賞。神聖かまってちゃん、あらかじめ決められた恋人たちへなどのMVにも出演している。『アイネクライネナハトムジーク』(今泉力哉監督)、そして芋生悠とダブル主演をつとめる『左様なら』(石橋夕帆監督)が今冬公開予定。7月23日から放送予定のTVドラマ「トーキョーエイリアンブラザーズ」(日本テレビ)でドラマデビューも果たす。
花役でドラマ初出演となる彼女の演技にも注目
©真造圭伍・小学館/NTV・JStorm
トーキョーエイリアンブラザーズ
月曜深夜 25:59〜25:59
7月23日(月)より日本テレビにて放送開始
番組公式サイト
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